協働と共鳴とサイエンスとアート その①

日本人はその思考特性に絡んでいるのかもしれないが、分析思考は強いが、統合思考は弱いと感じる。それは、筆者が企業変革パートナーとして多くの企業の変革に携わって肌感覚でも得ている。
分析は、ロジックツリーで分解し体系化するようにサイエンスの要素が強いが、統合は個々人の妄想構想解釈によってピラミッドストラクチャ―として積み重ねてゆくようにアートの要素強い。その統合思考で未来を描き仲間を鼓舞するのがリーダーシップには重要だと考える。そう、素晴らしいチームを語るには、リーダーシップは不可欠と考える。では、素晴らしいチーム、リーダーシップを、サイエンスですべてを語ることができるだろうか?

筆者「千葉剛」自身、事業会社から経営コンサルファームに移り、そこで自分自身の論理的思考の大幅な強化が必要だと痛感し、必死になって論理的思考を鍛えた。そして、論理的思考で物事をとらえ分析し語ることに高いレベルを持っていると自信がある。しかし、その領域に成ったとしても、見えるものは、全ての中の一部でしかない。
サイエンスは重要だがすべてではない。まだ我々が表現できないものが多くある。そしてその表現できていない領域のほとんどは、アートの領域と考えている。サイエンスでわからないことが多くあり、ロジックで表現できないものが多く存在しているので、アート的に感覚値で表現することは重要だ。
これは、サイエンスやロジックが無駄であるとの意味ではない。サイエンスやロジックで表現できない領域が多くあることを認識しつつ、考え表現しコミュニケーションしアクションすることが重要だとの意味だ。そしてまた、ロジックで表現しにくいものが多くあるからこそ、言語化して理解すること、言語を使って他者とコミュニケーションに努めることが、集団として前に進むためには重要だと考える。
相互に理解し、共感し、共鳴する。不可能ではない。共鳴レベルの協働ができるチームをつくることは。

そして、筆者の所属しているチームは、その領域で非常に強い。しかし、サイエンスですべて語れる状態でもない。多くの暗黙知があり、幾度なく言語化を試みたが、未だにすべてを文字情報として伝えるのは出来ていない。
過去に、ある社会人野球チームの支援をしたことがある。その社会人野球チームは、社会人として自分の業務もこなしているが、過去現在までに野球選手として活躍し、その企業でも野球選手として活躍することを期待されて採用され、シーズン中はほとんどが練習と試合の時間でもある。そのチームのチカラを高めるために、筆者もI C IW 社( 実在する企業としてはIWN C 社)の仲間と支援に入った。筆者を含めた支援チームは、まず野球チームメンバーに全身を使ったアクティビティを行ってもらった。その野球チームメンバーが色々な小さなチームとして取り掛かる様々なミッションをこなしてもらい、そこで感じたことなどを文字として表現してもらい、その文字情報をもって仲間と共有してもらった。
このように、体感したこと、つまり身体知としての学びを個々人が文字情報に変換して他者とコミュニケーションをとることは、チームが進化する上でとても重要だ。個々人の持っている暗黙知を、文字情報として形式知化して、その文字情報という形式知があることで他者と「理解」し合える。そして、その理解を元手にして自分自身で実践することで技術が磨かれ、身体知としての学びになってゆく。この流れは、野中郁次郎氏のS E C I モデルとして広く知られているものだろう。その野球チームを支援した際も、チームとして進化するための重要なアクションとして、個々人の暗黙知を文字情報という形式知によってシェアし、学びを進化させた。
しかし、この野球チームは、これまで支援してきた他の企業の「一般的なチーム」とは異なる事象がでた。個々人が得た身体知としての学びは、特に野球に直結した身体知としての学びは、論理的に整理された文字情報に置き換えるという行為が、多くの選手にとってが難しかったのである。しかし、文字情報に置き換えなくても、選手同士が「共感」しあうことが起こっていた。そう、「理解」は進んでいないのだが、「共感」は進んだのだ。そして、その共感から相互理解が進んだのだ。

論理的に整理された文字情報に置き換えることが難しいので、我々支援している側には野球チームのメンバーが共感している事柄はなかなか伝わらないのだが、選手同士では伝わり合っている「何か」があるのだ。それは、動物的なものなのか、野性的なものなのか、定義することが難しいのだが、確実にその「何か」によって共感が生まれているのだ。

このような「共感」には、もしかするとまだ解明されていない「何か」の伝播があるのかもしれない。