チームと協働 その①。
企業は、そのほとんどがチームプレイによって価値創造をする。部分的な価値創造は一人でもできるだろうが、世の中に提供する価値は、チームプレイによって創造されている。
チームとは、目的達成のために協働する集団だ。たとえば●●製品をつくるチームであったり、●●営業部なのもチームだ。目標を掲げ達成する、つまり、成し遂げる何か、目的があり、そしてそのために協働する。協働によって高いチームパフォーマンスを発揮すると、成し遂げることができたり、より高い成果を出したり、早く出したりできる。そう、協働するということは、世の中でとても大切な人間の行為だ。
では、よい協働、悪い協働、成果を出せる協働、出せない協働などは、どのように考えるべきか。
まず、協働するために必要なこと、大切な事がある。それは、チームの仲間と同じような考え方や、仲間と同じような感じ方、が、チームの中の多くのメンバーにできていることだと考える。たとえば、野球チームだとすると、長距離バッターである4 番の前の打順である1 番バッター2 番バッターが、塁に出ることを優先して「確実にボールにバットを当てて」、「フォアボールを選ぶ」などで塁に出ることによって、後に続く長距離バッターの長打によって得点が多く入る可能性が高くなる。しかし、1 番バッター、2 番バッターがそのようなチームプレイの考えに同調せずに、大振りでホームランを狙うとどうなるだろうか。長距離バッターではないバッターが大振りしても凡打や大振り三振で塁に出る可能性が低くなる。そうすると長距離バッターである4 番が長打を打ったとしても、多くの得点が得られない。
このような例は、チームプレイのための「同じ考え方」という協働に大切な要素だ。文字情報として存在している目的であったり、数値で表現されている目標であったり、手順やガイドであったり、ルールであったり、そのようなものだ。
では、「同じ感じ方」とは、なんだろうか。それは文字で表現すると、「共感」となるのだろう。共感とは、その他者と同じ感覚、同じような感覚になることだ。
たとえば、サーカスの空中ブランコを見ている観客が、落ちたら危ないと感じてハラハラドキドキするのも共感だろう。では、共感は、なぜ起こるのだろうか。空中ブランコを観ている観客は、空中ブランコをやった経験はない。しかし、高いところから落ちると怪我をする、場合によっては命がなくなってしまうということは理解しているだろう。それは、親から教えられた知識としても観客の中に存在しているとは考えられるが、それだけではハラハラドキドキという状態にはならない。観客自身が過去の人生の中で、高い所から落ちたり、飛び降りたりして、自分自身が何らかの感覚を保有しているからだろう。もしかすると、実際の直接体験は無いが、テレビなどで高い所から落ちた人が血まみれでひどい状態になっているイメージを、自分自身が過去に血を流して痛い思いをした体験と重ね合わせている場合もあるかもしれない。いずれにせよ、その過去の自分自身の経験から得た身体知と、目の前の空中ブランコという高い所から落ちる可能性がある出来事が結びついて、ハラハラドキドキという感覚が沸き起こる。
それはもしかすると、高い所から落ちると無事ではいられないという知識が無かったとしても、過去の自分自身の経験から得た身体知があるだけで、そのハラハラドキドキは起こるのだろう。もちろん、ほとんどの場合は過去の経験から学び、「知」として自分自身に内在させているので、少なからずとも知識が存在している状態だとは考えられる。
非常に悲しい出来事ではあるが、幼いこどもがマンションから転落してしまう事故などは、幼いがゆえに高い所から落ちると怪我をするという身体知が乏しいことが大きな要因であるとも考えられる。